昭和42年06月12日 朝の御理解
二代金光様、四神様。ある時ある信者に対して、その信者が何か無礼な事が出来たからお気付けを頂いたと。その時に「この頃不信心になっとりますから、罰かぶりました。」と言うてその申し出た時、四神様は仰った「この神は罰を当てる暇はない。」と仰った。「罰をあてるぐらいなら、おかげをやるわい」と仰ったそうですね。「この神は罰を当てる暇はなか」っち「罰を当てるぐらいならおかげをやるわい」と仰ったそうです。
そこに私はやはりお道の信心の上で言う、「罰」ということの罪と罰とか申しますよね。その、罰かぶると言ってこの辺で申します罰の一つ見方と言いますかね。ここをはっきり教えて頂いておるとこう思います。まあですからある意味合いにおいては、罰と言うてもまあいいのですけれども、その罰を当てる暇があるなら、おかげをやるわいと仰るところに、それがほんとにあの、「罰」と言うことだけでは済まされない。
その奥の奥にいわゆる『神愛』が潜んでおる事を、私共は分かっとかなければならないと思うんですよ。これはもう17、8年も前の事でございましょうか。北野の教会に私はお話にあの時分はもう本当に私が参りますともう「善導寺の大坪先生が見えた」と言うてあちらの奥様が、はっとこう町中触れ回して歩きよんなさいました。勿論私が参りますともう本当に、朝からもう殆ど夜通しでお話を頂きに来る人が続いておりました。
中村さんなんかその一人でございますね。もう私が来たと言うたら、もう銘々にパンを持って来る人もおりゃ、卵を持って来る人もおられるわけなんですよね。それでもうそのお話に聞きに見える。それこそあの北野の教会に大変にその賑わった時代でございます。その時分はもう親教会からは大変色々な問題があったんですけれども、北野の教会長先生夫妻で、もうとにかく私が行く事を非常に喜んで下さった。
そして( ? )その日も私は朝から晩までずうっと、話をさして頂いておるという時であった。夜の御祈念を終わってから私は愈々こうここでお話をしようと思って、丁度10人ぐらいのご信者さんが集まっておりました。もうその時はまたいちいち神様のお知らせを頂いてから、頂いた事をお伝えするんですね。ところがあちらの先生の妹婿にあたります高橋さんと言う、京染屋さんじゃない染物屋さんがおられます。
その近所に。現在あそこの総代をしておられるますが。その方が、篳篥(ひちりき)の稽古をしておられましたんです。楽の稽古を。であちらも、このお広前ならすぐここが、その、控えになっておりまして、もう私がお話を始めようかという頃から、あの篳篥をビイビイ、ちょっとひどい音がいたしますからね、もうお話ができんのです。
とうとう話を途中で止めてから、御祈念をさして頂いて、それからまた、お話を始めたんですけれども、もうてんで、もう無茶苦茶にその、吹かれるもんですから、お話ができんのです。もう、ものの1時間は経ちましたでしょうか。とその篳篥の音が止んだと思ったら、ふすまを開けて、こう開けて出て来られたらですね。唇がこんなに腫れておりました。顔まで垂れていました。
それで私はすぐその事を神様にお届けさして頂いたら、御心眼にですね篳篥をこう持っておられる、ここにあのイガ栗を挟んでおられるんですね。頂いてから神様のお声でですね、「その上に胡椒をぬった」と神様仰ったです。こうね篳篥を吹いておるその間にこうイガ栗が、イガ栗がねこう挟んであるんです。心眼にそしてその上にジガジガするでしょうその上に、神は胡椒をぬったとこう仰るのです。
ほんとにある意味で恐ろしい事だと私は思った。ですからまあその頃は私の言う事を皆が、一生懸命聞いて下さる時でもありますし、すぐ私の事を申しましてですね、高橋さんあなたはいうなら善導寺の親先生の妹さんです。一番下のをもろうておられるくらいだからとにかく神縁も深い。いうならばあなたは、道の教師にでもならなきゃならんような、運命の下におる方だと私は思うんだと。
いうならば御祈念の後にしかも私がですよね、お話は下手ですけれども神様から直接頂いた事を皆に聞いて貰う。また皆も一応聞こうと思うてこれだけ見えておるのに、隣ああした篳篥をジャンジャン鳴らされる、吹かれるなら全然お話ができませんでしたと。そこん所をですね、あなたが自分の心に思い当たる所をしてお詫びを神様にしてご覧なさいおかげ頂きますよちゅう。したら自分もやっぱ心付かれたんでしょうね。
その晩はお詫びお詫びそれだけかどうか知りませんけれども、家帰られて、明くる朝朝の5時の御祈念に参って見えました時にはですね、もうすっかり治っておられました。大坪さんおかげ頂きましたち言うてから、朝の御祈念に参って見えられました。中村さん辺りはまだ、覚えておられる事であろうとこう思います。ね。まあそういうような事は似たり寄ったりの事は、随分昔はひどかったですね。
これなんかもさあ神様の例えばそうした働きを邪魔したから、罰を当てたと言やそれまでですよね。けれども、もう一つその向こうにです、そうしたもう一つ向こうに、『神愛』を感じんわけにはまいりますまいが。ね。ですから、「罰を当てる暇があるならば、おかげをやるわい」と仰るそれは、もうすでにおかげであったということなんだ。これも10年ぐらい前でしたか。
丁度私共の椛目の時代に妹が表に出ておる時に、青年が2、3人なんか長ぁいあの何て言うですかね、竹竿の様な物を銘々がこう担いでですね自転車に乗ってから行きよった。そしたらその金光様のいわゆる家の横を通らっしゃりながら、あぁここが椛目の金光さんかち言うてからその、何か悪口を言うて行きよったらしいんですよ。そしてもうそれを言うた途端ですね。あのいわゆる向こうの西の方からやって来ておる。
隣が原口さんと言うて店があるでしょう。あの角の方が瓦が低いですもんねあそこは。まあその言うた口の内ですね。その自分が担げておるその竿がですね、もう原口さんの瓦の屋根にボンと突き当たったんです。(自転車だけじゃいかん、)自分も引っくり返ってしもうてからもうああ痛、ああ痛いち言うてから、まあおよたれまわって引き抜いてから、もうほんとに恐れ入ってしもうた。
もう言う口の内じゃったと言うて妹がお届けしたことでありました。私は夕べですねもうここを下がらして頂いてから、汗が出とったから又この体を拭いて、それからもう湯上がりに着替えさして頂いてから、夕べ遅うございました。もう10時下がったのが半でしたからもう11時ありしたでしょうかれこれ。普段は休まして頂く時間でしたけれど、何か急に私、こうやってお広前出て来たい気がするんですよ。
始めて出て来たんです。そしたら杉山さんを囲んでその控えで、この合楽の部落の方達がちょうど夕べお参りして来ておりましたが。5人でしたかね。参って、そこに一生懸命信心話、花が咲いておるとこでございました。それで私がそこへ参りましてから、「はあ先生が見えたと言うて皆さん、またその新たに信心の話が新たになったんですけれども、その中にですその人、先生、先生が御本部参拝されました。
月次祭の夜でございましたが、家の前で事故があったと言うてその、中村さんが話されるんですよ。「あらそんな事でしたか」もう本当に私の祈りが足りなかった。合楽と言う金光様ここにある合楽内でですね。そういう不祥事が起こると言った様な事は、私の祈りが欠けておったと私はすぐ直感してから、まあ心の中でお詫びさせて頂いたんですけれども、そのどこの方でしたか。
「それが先生あの、ここに関係のある方ですよ」と。あの一番始めの上の方土地を買いましたですね。そしてあの20万て言う手付きを打ちました。あの時に総代さん方が、一部だけは言うとかにゃいかんから、と言うので、この後で、ここも自分得手勝手でいらんと言うのじゃない。下の段の人が、いろんな苦情が出て、ここではできない事になったから、ここは買えなくなったと言う事を言ったら。
その手付やっとるとば、取り来たと誤解されてですね非常に怒られて帰って来たんです。総代さんどんがその方なんです。もうその日もう難しかろうごとそうですね。ほんで中村さん方を出られるのと、自動車が来たのと一緒なんです。もうその晩はもう難しかろうと言うぐらいじゃったけれども、まあ中村さんとご信心のある方達がですね、その方の事を一生懸命お願いされて、そしてならその。
昨日の話ではまあ愈々帰られておかげを受けておられる、と言う話を聞かせて頂いてからですね。私は何か知らんけれども、ほんとにそういうような意味合いにおいてでも、縁ができておられるということは間違いない。ここの信者の、いうなら真心の結晶であるところの、財の、いわば20万という大金のですよね、その渡しておるのですから、そこに縁ができておらんはずがない。
もうそういう、まあそれがある場合には、逆縁と言うかもしれませんよね。けれども、逆縁は逆縁であっても、縁は縁なのです。ね。逆縁を通してもう一つ、その向こうに『神愛』があるのだと。神様の切なる願いがあるのだ。そういうところから縁を結んで、いうなら、神の事をとやこう言うてもですね、それは神のひれいじゃと仰るくらいですらね。やはり神様のひれいなのです。
だから、ひれいをひれいとして、生かして行く為にです、本人なら本人も、基くところに基かせて頂いて、おかげを頂いてから、あれが御縁にということになってくるような、私はおかげを頂かなければならん、しっかりまあ、明日は御神米を忘れなさんな。明日御神米を頂いてから、お見舞いに行かれる時には、どうぞお祈り添えと同時に、この御神米頂かせて下さい、と言うて、夕べ話した事でした。
そして私は思いました。ほんにその言葉私は聞きたい聞く為に、今晩こっちに来たっじゃろうねと言うてあの話したんです。ね。是もそこの隣の非常に問題がありましたです。隣の為に園木さんて言う、学校の先生をしておられる所の方です。是はもう一週間ぐらい前で御座いました。中村さんが「先生あちらに伝染病がもうもう疑いで子供さんが大変苦しんでおられますから」と言うて、お届けを中村さんから御座いました。ね。
そしたらもうその話出たから言うけん言うばってんね、ちゅうて私夕べ話した事ですけども。そちらの私お届けさして頂くと同時に腹痛がしてから、下痢を2日間続けてしました。だからそれもおかげを頂いて終わってです、終わって私あの久富先生この頃御結界座っとりましたから、久富先生に実はなほんとにあの以前はそんなこと、皆さんもご承知の通りでしたですね。
例えば胃が悪い人が来たら私が非常に痛んだり、そう言う様な事が御座いました。それは、そういうことのおできになる神様なんです。痛いから痒いでもですね、もうこう、こうあちら持って行ったり、こちら持って行ったりするぐらいはできなさる神様なんですよ。ね。この頃のほら、私の糖尿病の2日間だけ、糖尿が出なかったと言うお話をいたしましたですね。
そしたらあの久富先生の方の、2月間もどっから出るや分からないような熱で、大変に衰弱しましてね大変困っておりました。病院入院しとった。それがその分かったのが、あの糖尿病であるっちゅう事で、糖尿病の治療をしだしたらもう熱も下がったんですよね。おかげですぐ退院のおかげ頂いたでしょうが。と言うようにですね、私の今日言うならばですね分かり安う言うなら糖尿病。
あちらに持ってったこちらに持ってったみたいな事は訳ない神様なんです。だから糖尿病と言う病気は何だ実を言うたら、神様のご都合だけしかないんだと、まあ私は確信しますですね。そげな事はですね例えばそういう印をね私の上に体の上に現して下さるんですよ。それはもう先生もうお届けをさして頂きましたら、その日からですね全然もうどうもあんなさらんそうです。
けれども病気が病気ですから、1月間はちょっとおらなきゃならないような、まあおられるそうですけれどもです。先生それもあるけん、園木さんお孫さんですか。でした。ですよと言うて、中村さん達の話をいろいろ聞かせて頂いてです。ね。二つの事聞かせてもらってです。どういうであっても縁ができておる。その縁がですね。例えば、私がです、「ほうら見てんの金光様の事を。
いろんな事を悪口を言うたり、邪魔したりするけん罰がかぶっとるったい」て言や、やはり罰なんですよ。けれども金光様のご信心はそれから先が、私は素晴らしいと思うんですね。「罰を当てる暇があるなら、おかげをやるわい」と仰る。もうそこからでもおかげの道を開こうとなさっておられるんですね神様は。ね。お互い心しなければならない事でございます。打てば響くようなおかげを受けられるなら。
また打てば響くような、お気付きもまた、当たり前の事なんです。なら、お気付をお気付として、気付かして頂くところにです、次にはもう、おかげの道はそこから開けて来るんですよ。ね。私どもが本当に、例えば、鴨居で頭をひとつ打っても、ね、「ああ痛いよ」と言うだけではない。そこからいわゆるお気付ならお気付けを悟らしてもろうて、それから、私は、次の信心を頂いて行かなければならん。
昨日もまた、私帰る前に、あ、帰りましてからでした。福岡の松岡さんがおい出てまいりました。二番目の息子が、それがあの、出前に行っておってから、自転車をどうかしよる時に、後ろからトラックが来てから、はね飛ばされたんですね。もう、大ケガせんならんとに、ほんのかすり傷だけで済んだからと言うて、(親子三人で)お礼に出て来たということです。
そしてから言うておる事は、これはもうあの、お気付けを頂きよると思いますて。つい私が御本部参拝します前の日に、あちらのお母さんがお礼に出て来ましてから、あちらの親戚にもあたりますその18になる娘が、目の前であそこ電車で轢かれたんですよ。それは本当に轢かれたんですよ。もうそれをですね間髪を入れず息子が見とったそうです。それを。ほんの目の前だと。
ほいでもう、それこそ、もうどげんして引き出たかどうか分からない。引き出したんです。ほいでもうその子が、無性になって傷だらけになってる、そこに通りが、もうそれも間髪入れんじゃったそうです。通り合わした自動車が止まってから、すぐ病院に連れて行ってくれた。そして入院したところが、意識が出て、したところが、ほんな足の皮一皮ふっとこう剥いてるだけじゃった。
「まあとてもこげなおかげがありましょうか」ちゅうてからその、言うんですよね、あそこの前を市電が通っておりますから。ね。どうしてもおかげを頂いただけじゃいかんよと私は。ね。とその時私は申しておりましたら、今度は息子がそういう事でしたんです。だから息子は息子で、ただおかげを受けただけじゃいかん。ほんとにお気付け頂きよるとじゃろうとこう、ほんとに思うたら、お気付け頂きよる事。
ほんとに分かってです、ね、そこに気付かせてもろうて、次の信心に、進まなければ、やはり罰になるです。そうでしょうが。気付かせて頂いてからです、はぁほんとにここが悪かった。ここは改めて行かなければ、ということになった時に始めて、それはおかげであった。神愛であったということなるのです。ね。ですから、金光様には罰はないと言うけれどもです。
ないと言うことはないです。受けよいっちょです。ね。その生きたひれいがあればあるほど、それは激しいです。それこそ間髪を入れず、もう言うも言い終わらん内に、と言うような感じがいたしますね。神様の働きと言うのは。そこを気付かせて頂いて、なるほど、罰を当てる暇だんない、おかげをやると仰るそのおかげが次にあることを、私どもが知らなきゃいけないと思うんですね。
どうぞ。